文系出身者の建築構造計算 GenS Weblog

建築構造計算に関する情報 と 文系出身のGenSが極めて私見を綴ったWeblogです。たまに趣味ネタも書いてます。


“必要だったか?”という視点から考えてみる

20万人もの婦女子を周りの男どもに悟られることなく強制連行するこが可能だったか?という視点で考えてみたが,到底不可能だったという結論に至るほかない。

今度は“必要だったか?”という視点から考えてみよう。

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いわゆる従軍慰安婦問題に関する私見

先日の河野談話の検証報告で明らかになったように,16人の元慰安婦に対する聞き取り調査の前に,日韓合作で談話がほぼ出来上がっていた。

河野談話を継承する姿勢に何ら変化はないと言う日本政府に失望した方も多いだろうが,これまで河野談話が足枷となって我々の先祖が強姦魔で殺人鬼だと貶められても反論すらできなかった日本が,初めて反論した画期的な出来事だったと私は思う。

結論から先に申せば,いわゆる従軍慰安婦問題とは,日本軍によるものではなく,朝鮮戦争当時の韓国軍特別慰安隊に始まり,その後韓半島に駐留する米兵向けの基地村と呼ばれる公娼で起こった韓国の国内問題であると考えている。共に民間業者が営む慰安所ではなく韓国軍が運営する施設であり,まさに従軍慰安婦と呼ぶべき女性がそこには存在した。

朝鮮戦争は1950年に勃発した。45年に敗戦した日本はGHQ統治下にあって武装解除されている。その当時に日本軍は存在しない。

なかったことを証明することは難しいが,私は逆に20万人もの朝鮮の婦女子を強制連行して性奴隷にすることが本当に可能だったのか?という視点で考えてみたい。

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人生の答え

これまで私の思考・嗜好・志向について色々とお話ししてきたが,私が不惑に得た初心というべき信念(=人生の答え)についてお話ししよう。

この答えを得ることが,人として大人になるということであり,それは今生を貫き決して変わることのないもの。だから答えなのだ。

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ヨシムラスズキGS1000R

80年の鈴鹿八耐で,グレーム・クロスビー&ウエス・クーリー組が駆って優勝したあの12号車を,GS1200SSをベースに現代の技術で蘇らせたい!

私と同じように憧れる人が結構いることや,レプリカパーツを販売する店もあることを知った。

カウルやシートで形を模せば,それだけで雰囲気は出る。そこは1200SSにしかできないベース車両の秀逸なところ。細部のパーツは当時物に拘らず,現代の技術を駆使した最新部品で行こう!

そんな経済的余裕なんてまったくないけど,17歳の私との遠い約束が五十歳になった私の心を躍らせる。

考えるだけでワクワクする!

子供心を忘れない

最近気付いたことは,大人になることと,子供心を忘れないことは,まったく別のことで共存できるということ。

子供じゃなくなることが,大人になるということではない。


大人になれないまま,子供心も失くしてしまう人がいる。

歳を重ねても子供のままで,いつまでも大人になれない人もいる。


そんな大人になれないまま今生を終える人が,実はこの世には沢山いるんじゃないか? そんな哀しい現実に気付いた。

人はみんな大人になるわけではないことに気付いた。

大人になるということ

二十歳で成人するのなら,私は三十年近くも大人として生きてきたことになる。

しかし,自分の感想としてはつい十年ほど前。不惑を超えてようやく大人になれた気がする。自分の生き方や顔というべき信念ができ,それを貫くことに迷いがない様。まさに不惑。昔の人は上手く言ったものだ。

真の意味での大人とはなんだろう?

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人生は自分の意思で選択できるか?

人生にはいくつもの選択肢があり,そこに無限の可能性があると思いたい。

そう思いたいのは山々だが,半世紀近く生きて悟ったことは,どうも選択なんて何一つできないんじゃないか?ということ。

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継続は力なり

中坊だった私に「続けることは力である」と,松浦功校長先生は教えてくださった。絵が苦手な画家と算数嫌いの数学者という友人の例え話しと共に…。

算数・物理コンプレックスだから文系に進学したし,大学でコンピュータに興味を持ったからカタカナ社名のソフト会社に入社した。

そんな私が数学と物理学を元にした工学系の仕事をしている不思議。

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正しさとは?

人は人の数だけ正義の物差しを持っている。一人一人異なる長さやスケールを持っている。

その物差しで自分以外の人を測ることほど人にとっての愚行はない。

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成長とは?

人にとって成長とはなんだろう?

少し前に,人から「全然成長してない」みたいなことを言われてずっと考えてた。

半世紀近く生きた今では,体の成長なんてなくて朽ち果てて行くだけ。だけど心は幾つになっても成長できるように思ってた。

でも今朝何気に思った。半世紀近く生きたのなら十分に大人で,心は成熟してなきゃおかしいんじゃないかと。

己の顔(生き方)は自分で創り,一途になれるものに情熱を傾ける。一度や二度失敗したからといって決して諦めない。今生を貫く何か。

若い子の成長は,体も心にも変化を伴うものだと思うし,駄目だった過去を捨てて新しい世界に飛び込むみたいな冒険もありだと思う。

でも大人にとっては,都合悪くなった過去を捨てて,明日へ繋がっているか解からない今を生きるような生き方は,確かに変化を伴っているが,そこでどれだけもがき苦しんでも,努力を重ねても,一歩下がって一歩昇ったところで現状維持でしかない。一歩進む努力が報われない。それは決して成長とは呼べない。むしろ未成熟の証だろう。

成長の到達点は成熟した心だと思うから,自分らしさ,己の顔,生き方,一途になれるものを見つけ,それを最期まで貫くこと。それが成長の証なんじゃないだろうか。成長するんじゃなくて既に成熟していること。

つまり,成長なんて言ってる歳じゃありませんよ!ってことだな(苦笑)

だから,大人にとっての成長は,時代に左右されず,時の流れの中に埋もれず色褪せない。ブレずに一本ビシっと芯の通った己でいること。

つまりは,「変わらない」ということなんだろうと思う。
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