文系出身者の建築構造計算 GenS Weblog

建築構造計算に関する情報 と 文系出身のGenSが極めて私見を綴ったWeblogです。たまに趣味ネタも書いてます。


人生は自分の意思で選択できるか?

人生にはいくつもの選択肢があり,そこに無限の可能性があると思いたい。

そう思いたいのは山々だが,半世紀近く生きて悟ったことは,どうも選択なんて何一つできないんじゃないか?ということ。

たとえば2005年の退職・独立という人生の岐路を思い起こしてみると,20年近く勤めた会社を辞めたのも,再就職することなく独立したことも,大いなる決断であり人生の選択だったはず。

本当だろうか?私は選択したんだろうか?独立なんて誰にでも選択しうる選択肢の一つだろうか?

どうにも違う気がしてならない。

もし選択なら,会社や上司や世の中への不平不満を酒の肴に夜な夜な呑みながら,それでも会社にしがみつくサラリーマンなんていなくなるはず。

嫌なことをなぜ選択する?不本意なことをなぜ自ら選ぶ?

理由は言うまでもない。独立してやって行けるか不安で自信がもてないか,独立なんて想像すらできないか,だ。

食って行けるだけの得意先も持たずに独立するような無謀な奴も,再就職先の当もなく辞めるような馬鹿もいない。

あの日私は,辞めた後のことを何も決めずに会社を辞めた。独立なんてドの字も考えてはいなかった(馬鹿がここに居た笑)。

暫く遊んでからお気楽転職を決め込むつもりだった。それ以上のことは本当に何も考えてなかった(お気楽にもほどがある笑)。

しかし,理由なき自信は退職の挨拶周りで確信に変わった。

行く先々で「次は決まってるんか?」と訊かれて「いいえ」と答えると,相手の次の台詞は「仕事手伝えるか?」か「うち来るか?」のどちらかだった。

抱えきれないほどの仕事を自宅リビングではこなせなくなったこと。誘ってくださる会社へ再就職すると,今請けている仕事ができなくなりお客様にご迷惑をおかけしてしまうこと。

私に選択の余地などなかった。

自宅リビングでは公私の区別がつかず仕事の効率も悪いから,やむなく自宅近くに部屋を借りて現在に至る。

今思うことは,仕事でもプライベートでも,人が生きることは誰かとの人間関係であり,常に相手のあることだから,こちらの意思だけではどうにもならないことがほとんどだ。

好きな人がいても相手にその気がなければどうしようもないのと同じで,「ここの仕事したい」と思っても,相手に「仕事してもらいたい」と思ってもらわなくてはビジネスは成立しない。

そう考えると,自分の選択というより,相手から自分を選択してもらうことなんじゃないかと思う。

そして「過去の自分の生き様が導いた必然」という方がしっくりくるように思う。

それでも敢えて自分の意思での選択であり決断だと考えるのは,たとえ失敗しても人の所為にしないためだ。

選択できるのはせいぜいお昼のメニューくらいなものか?と思ったが,稼ぎの悪い亭主は最近弁当持ちだから,それすら自分の意思では決められない(>_<)

だけど,それでいいと思う。

決して楽な暮らしではないし,苦しいことも多いけど,私を支え応援してくださる皆様のおかげで,誰にでも選択できるわけじゃない独立・自営という生き方を与えていただいた。

みんなありがとう。心から感謝してる。

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