文系出身者の建築構造計算 GenS Weblog

建築構造計算に関する情報 と 文系出身のGenSが極めて私見を綴ったWeblogです。たまに趣味ネタも書いてます。


魔法の言葉

人間誰しもひとつくらいは座右の銘というほどでなくても,心に残る言葉を持っているはずです。

救われたとか,癒されたとか,勇気付けられたとか。そんな大事にしている言葉があるはずです。

そんな言葉をくれた人生の師匠との出会いがあるはずです。

私にも大切な言葉があります。

ひとつは,私がまだ剣道漬けの日々を送っていた中学生のとき,松浦功校長先生がくださった「続けることは力である」という言葉です。要するに「継続は力なり」とおっしゃったわけです。

そのエピソードとして,算数が嫌いだった数学者と,絵が苦手だった画家という,二人の友人の話をしてくださいました。

苦手なことでもコツコツ頑張れば,やがて苦手を克服してその道で生きて行けるほどにだってなれるんだよ,という話しです。

超えられないと思った壁でも,諦めずに頑張れば越えて行けるってことですね。


もうひとつは,私の座右の銘とも言える魔法の言葉です。

この言葉は,私が永年勤めたソフトベンダーの社長がくれた言葉です。
今の私があるのはこの言葉のおかげだと思っています。

全 原 因 自 己

他で聞いたことがないので社長自身のお言葉なのか,歴史上の偉人が残したような言葉なのかは知りません。

意味を簡単に説明すれば,「自分の身の回りに起こるすべての出来事の原因は自分自身にある」というものです。

これだけじゃ意味不明というか「そんなことないやろ?」「明らかに自分以外に原因がある出来事なんていくらでもあるやろ?」って感じですよね?

私なりの解釈を噛み砕いて説明すると,
人間関係がギクシャクしたりしたときなんかに,その原因・責任を相手側に求めたくなる気持ちを少し抑えて,自分の中に探してみるって感じですかね。

客観的にみれば,明らかに相手側に非があるようなときでも,自分の振る舞いに落ち度はなかったか?誤解されるようなこと言ってないか?と,今一度考えてみる。

ちょっと癪に障るけど,「ごめんない。私何か気に触ることしましたか?もしそうなら謝ります。」とこちらから頭を下げてみるとか。

こっちは何の悪気もなくしたことを誤解されて相手が機嫌を損ねた,なんてことはよくあることです。
相手の態度にこっちも腹を立てて(相手側に原因を求める)しまっては,ますます関係性は悪化する一方です。勇気を出して話しかければ,誤解が解けて急に仲良くなったりします。

こう上手く行けばラッキーですが,なんでもかんでも自分に原因を求めてると息苦しくなるような考え方ですよね。

でも,本当はそうじゃなくて,人間関係の悩みやストレスから開放されて自由になれる魔法の言葉なんです。
私はもう何十年もこの魔法にかかったままです。きっと死ぬまでこの魔法は解けません。

私が気付いたことは,
普遍の真実とか正義なんてものはない
人の数だけ正義があって,みんな自分が正しいと思って生きている
私も他人様も己の勝手な正義で生きている


自分を認めてもらいたければ,相手も認めてやらないといけないってことです。
自分と異なる思想や宗教や主義主張を持つ人も認めてあげなければ,相手も自分と異なる考えの私を認めてくれるはずがありません。

どっちの考えが正しいか人と議論することに意味はあります。

でもその結果が,
考えの違う者を間違ってると考え,どっちが本当の正義か言い争う
己の正当性を主張し,相手の考えを非難する
酷い奴は誹謗中傷に走る(ブログの炎上なんかはこの輩ですね)

これじゃ意味がありません。まったく建設的じゃありませんもの。
やっぱり我々は建設的じゃなきゃいけませんよね(笑)。

他人様は勝手に思い考える
私も勝手に思い考える

正義の物指しは大きさも尺度も人それぞれです。自分の勝手な物指しで人を計ることはやめようってことです。

逆に,人の物指しで計った正義に従って何かして上手く行かなかったときは,相手の物指しが間違ってると相手に責任を押し付けたくなります。

だから,昔のカーナビのキャッチコピーじゃありませんが,「道は星に聞け」じゃなくて「道はに聞け」ってことですね。

後で誰かのせいにすることのないように,自分の行うすべてのことは自分の意思で行い,責任の所在をはっきりさせておくことです。

こんな風に考えて生きはじめると,変わったのは自分の考えだけで,相手の考え方を変えさせたわけではないのに,自分の周りが徐々に変わりはじめて行きます。

人と自分の物指しは違うから,周りが自分を理解してくれなくても腹は立たないけど,理解してくれる人に出会うと嬉しい。

こっちが嬉しいと思って相手に接すると,それは言葉や態度に表れるから,相手は更にこちらを理解しようとしてくれる→好ましい循環が始まる。

誰一人理解してくれなくて当然なのに,たとえ一人でも理解してくれる人に出会うと嬉しくて仕方ない。

この好ましい循環を繰り返し,理解者という仲間が増えて,やがてそれは大きな輪となって,喜びと感謝の思いで心が満たされてゆく。

相変わらず分かり合えない輩が周りにいても,それは元々当然のことなんだから,腹が立ったり悩みの原因にはならない。

だから,私には仲間が増えて嬉しい出来事が増えて行くだけだから,人間関係でのストレスは無縁のもので永遠にないと断言できるんです。

私の最大の喜びは,心のどっかで「いけすかん奴やなあ」と思ってた人のいいところを見つけたときですね。

それを褒めてあげて,それまでの硬直した関係が一瞬で溶けてなくなる瞬間に遭遇すると,もうこの上なく嬉しい。

こんな経験をすると,この世に嫌いな人間なんていなくなる。

みんな仲間になれる可能性があると思うと,人と会うことが楽しくなる。

書店に並ぶ「幸せになるための本」の類いは,みんな結局言い回しやエピソードこそ違えど,どれも「全原因自己」の精神が書かれていると思うんです。

すごく単純な理屈だと思うんです。
みんな自分を認めて欲しいんです。わかって欲しいんです。

誰しも人恋しく独りじゃ生きて行けません

だから,相手を理解しようとする少しの努力を惜しまなければ,鏡に映したように相手も私を理解しようとしてくれるんです。

人の幸せは,ある日突然向こう側からやってきます。
人は誰かに尽くしてその人を幸せにすることはできても,自分では自分を幸せには出来ないんです。
いつも自分以外の誰かが幸せにしてくれるんです。

そんな小さな気付きを与えてくれた魔法の言葉が「全原因自己」です。

そして,数学・物理コンプレックスが理由で逃げるように文系に進んだ私ですが,今こうして数学と物理をベースとした工学分野で仕事している私を支えているのは,松浦功校長先生の言葉でした。
未だ半人前でモグリみたいなもんですが,頑張ればロバなGenSでもサラブレッドと一緒に仕事できるんだって思えます。

私の口癖は「ラッキー」と「素晴らしい」です。
私の人生は本当にラッキーの連続でツイてると思います。
誰に会ってもみんな頑張ってるし,私にないものを持っていて本当に素晴らしいと思うから,つい「素晴らしい」って口に出てしまいます。

みなさんの心に残る言葉は何ですか?

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